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風呂は重要か?

今日は、以前書いたエッセイの再掲です。ちょっと事情がありまして……。

僕は風呂が結構好きだ。どれくらい好きかというと、毎日入るくらいだ(普通)。どちらかというと家の風呂が好きで、温泉などは好きではない。鼻がつんとするし、他人の裸にも興味がない(あったら問題か)。べつに不潔だとは思わないが、ゆっくりできない。自分の家の風呂のほうが、ゆっくりできて好きだ。

さて、世界中の人間が滅んだとしよう(急展開)。そのとき、あなたは風呂に入るだろうか。もちろん、人間が滅んだらガスも電気も水もないわけで、風呂には入れない。だから、もっと都合が良い状態を考えよう。生活のインフラには困らないが、自分ひとりしかいない、という状況だ。水も電気もガスもある。さて、そういう状況でも風呂に入るだろうか。

僕の考えでは、風呂は自分のためが5割、他人のためが5割で構成されている。不潔な状態を他人に晒さないように、仕方なく入っているものではないだろうか。時間の無駄だし、着替えたりするのは面倒くさい。昔、そういう気持ちだったときもある。

ただ、頭が痒いのは困る。僕は1日入らないだけでも痒くなってくるので、たぶん世界が滅んだとしても毎日風呂に入るだろう。風呂のなかではすることがない。暇である。暇だから、いろいろ考えるというか、仕方なく、風呂を考える時間にしている。風呂で食事が摂れたり、風呂でパソコンが出来れば、そうしているだろう。

世界で皆が滅んだあともつづける行動は、自分にとって重要なものなのである。僕にとって風呂は大事なものなのだ。きっと。どれだけ大金持ちになっても、風呂には入りつづけるだろう。

じゃあ、女性の場合は化粧を考えてみよう。世界で自分ひとりしかいない、という状況であっても化粧をするだろうか。男性ならば髭剃りだ。それを、果たしてするだろうか? 肌のケアとか、紫外線対策とか、するのだろうか。まあ、皮膚癌対策というのであれば、わからないでもないが……。医者もいないし……。

服はどうだろう。いや、まあ、着るけれども、どんな服でも良い、という人は服が好きではない人だ。本当に服が好きな人ならば、たぶん、自分ひとりになっても服を選んだりするだろうし、こうなったら、もう、自分で服をつくってやるぞ、くらいのことは思うのではないだろうか。そういう、皆が滅んだあとでもつづけられるようなものを趣味にすると、なかなか楽しいと思う。

僕は、世界が滅んだとしても、何か文章を書きつづけるだろう。たぶん。

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