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歩かない犬は棒に当たらない

犬も歩けば棒に当たるには、ふたつの意味がある。どちらの意味で理解しているだろうか。

まず、ひとつは無闇に出しゃばると不幸な目に遭いますよ、という意味だ。こちらが原義だと思う。英語のほうがわかりやすいかもしれないので書いておくと『The beast that goes always never wants blows.』である。

もうひとつは、何かに挑戦してみると幸運に遭うかもしれないよ、という意味だ。こちらは英語で『The dog that trots about finds a bone.』である。

何が幸運で何が不幸なのかは、その人にしかわからない。あまりよろしくない例えを出すが、親族が亡くなったとしよう。それは基本的には不幸である。でも、自分の嫌っていた親族が亡くなったのであれば、それは幸福かもしれない(本当によろしくない例だ)。呪いたいほど嫌いな親族で、しかもその人の遺産がもらえるとしたら、もう、とてつもない幸福だろう(最低の例だが、わかりやすさ重視)。

最近、いろいろと考えていたことがある。あの問題は、どうすれば解決するのかなぁ、とぼんやり想像していた。集中して考えているわけではない。ただ、いつも頭の片隅に残っている。時折、思いだしたときに考えては、どうすれば良いのかな、と悩んでいた。そういう問題を考えたまま、他の行動をする。たとえば、本を読んだり、誰かと話をしたり(僕はしないが)、ネットのニュースを見たり、誰かのブログを読んだりするわけだ。そうしていると、不意に、自分の考えていた問題の答えというか、答えに近しいものというか、答えに届く切っ掛けになりそうなものが発見されたりする。それが、いろいろなところにある。一度発見してしまえば、ああ、あれもそうじゃん、もしかして、これも同じように使えるかも? とか、そういう風なものがどんどん発見されていく。

急に世界にその情報が増えたように錯覚される。もしかして、神様が僕のために情報を集めてくれたのだろうか、と思う。そうではない。意識していたから、自分のセンサーが鋭敏になっていただけのことだ。昔から変わらず、その情報はそこにあった。たまたま、自分が、その情報に気づくタイミングだったということ。

小説を読んでいて、新しい単語を覚えた、ということはないだろうか。年を取ると減ってくるけれど、僕はいまだにある。特に古い小説を読むときほど多い。知らない表現は、まだまだたくさんある。そして単語を調べて意味を理解し、自分のものとなったとき、その単語をいろいろな場所で見かけるようになる。これも、習得したことでセンサーが働いている例だ。前からその単語は使われていたのだが、意味を知らないときには、単にノイズとしてスルーされていたのだ。

犬に限らず、人間だって、歩かなければ棒には当たらない。その棒が幸運をもたらすのか、不幸をもたらすのかは、当たってみなければわからない。歩かなければ安全かもしれない。傷つくことはないのかもしれない。それでも、少しずつで良いから、幸運を期待して歩いていきたいものだ。

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