『傀儡のマトリョーシカ』が4月30日頃に講談社ラノベ文庫より発行されます!

どの棒に当たるのか?

犬も歩けば棒に当たる、のつづき。

実は、昨日の日記はふたつの話がばらばらに語られていた。ひとつは、犬も歩けば棒に当たるので、とりあえず歩いてみよう、みたいな内容だった。もうひとつは、自分のセンサーについての話だった。本当は、このふたつをうまいこと組み合わせてひとつの記事にしようと思っていたのだが、時間が足らずに、こういうことになってしまった。そういうわけで、今日はその二つをうまいこと繋ぐ記事にしたい(したいだけ)。

幸福に近づきたい人間は、まずセンサーを鍛える必要がある。不幸なものをいち早く察知し、それから離れる。あるいは幸福に近そうなもの、そこに辿り着く道標となりそうなものを察知し、それに近づいてみる。そういうことをする必要がある。たとえば、ソシャゲはどうだろうか。人によっては不幸だろうし、人によっては幸福だろう。熱中して、本当に面白かった、こういう体験をまたしたいと思う人にとっては幸福だし、ああ、時間と金が無駄になった、他にもっとしたいことがあったのにな、と思う人にとっては不幸である。これが、まさに犬も歩けば棒に当たる、なのである。幸運なのか不幸なのかは、当たってみなければわからない。

自分にとって、本当に楽しそうなもの、心が震えるもの、そういうものを探したい、という気持ちがあれば、自然とそういうものが集まってくる。詳しくは知らないが、引き寄せの法則、みたいな本には、そういうことが書かれているのではないか(読んだことがないので適当)。これは当然で、センサーがそういう方向に向かっているからだ。ネットでニュース記事を見るときも、自分にとって意味のありそうなもの、面白そうなものを探そう、として見ると興味深い記事がたくさん見つかることだろう。そういう人は、芸能ニュースよりもサイエンスとかを読むのではないか。

逆に、自分から不幸になろう、という風にセンサーが働くこともある。不幸になろう、と思う人は少ないかもしれないが、たとえば、何かに怒りたい、正義ぶったコメントをしたい、という人は、そういう方面にセンサーが向く。だから、芸能人の不倫とか、事故とか、不正とか、そういう記事をたくさん読むようになるはずだ。そうしていると、どんどん怒るようになるわけだ。

犬も歩けば棒に当たる。けれども、歩く前にセンサーの方向を決めておけば、ある程度、何に当たるのかはコントロールできるように思う。そういう風にして歩いていると、思いがけない幸運に出会うことも、結構あるように思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です