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2つの創作アプローチ

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『2つの創作アプローチ』という謎のエッセイを書いてみましょう。

創作について考えるとき、私はいつも『ガラスの仮面』を思い出します。簡単に説明すると、紅天女という劇(?)の主役を、主人公の北島マヤとライバルの姫川亜弓が争っています。二人は紅天女の里へ行って役作りをするのですが、そこで北島マヤ陣営の桜小路君が、仏師の役づくりをするために、実際に仏を彫るのです。そのときのことを思い出します。

まず1つめは、先につくりたいものがあるパターンですね。頭のなかにイメージがあるので、それに応じた設計図をつくります。仏像をつくるときも同じで、設計図を書き、それにあった木を探しにいきます。そして、最初に決めた通りに彫るのです。小説で言えば、しっかりプロットをつくるのは、こっちかもしれません。

もうひとつは、つくりたいものよりも、材料が先にあるパターンですね。たまたま道を歩いているときに、良さそうな木を見つけたので、それを彫ってみる、みたいな。まだどういう仏になるのかはわかりませんが、それも彫っているうちにわかってきます。この出っ張ってる部分が、まさか、手だったとは、みたいな驚きとともに彫ることができます。自分の想定を超えるものができるかもしれません。これは、小説で言えばプロットなしで、ぶっつけ本番で書くタイプかもしれません。

もちろん、どちらが良いというわけでもありません。人それぞれ手法があってよろしいかと思います。たまには自分がいままでやってきたのとは違うパターンを試してみるのも面白いでしょう。自分の手法の良さも悪さもわかってくると思います。基本的には、自分の短所も長所も、他人と比べなければわかりません。自分の国のことを知りたければ、他の国のことを知る必要がある、みたいなことですか……。

なんとなくですけど、前者の手法のほうが安定して良いものができそうな気がします。後者は完成度にぶれがありますが、たまに大当たりというか、奇跡的なものができあがるのではないですかね。設計図がないからこそ生まれた美、みたいな。まあ、大抵は設計図がないことで失敗してしまうのでしょうが……。

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