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泣ける抜ける笑える

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『泣ける抜ける笑える』という創作に関するエッセイを書きましょう。

僕は、泣ける小説と抜ける小説は、機能的には非常に近いと考えています。どういうことかというと、抜けるものも、抜けるものも、ある一定のパターンがあって、その通りにやれば、抜けるもの、泣けるものになる、ということです。一般的には抜けるよりも泣けるのほうが上位だと考えられていると思いますが、そんなことはない、というのが僕の主張ですね。まあ、どうなんでしょうか……。

簡単に言うと、性的興奮を誘うものと涙を誘うものは、どちらも計算に基づいてつくれるということです。抜けるパターンは、つまり肌色が多いものとか、シチュエーションとか、動作とか、そういったものを適切に配置すれば成立します。泣けるも同様で、人が死ぬとか、愛犬が死ぬとか、尊い自己犠牲とか、ある一定のパターンで、ツボを刺激すれば泣ける、ということなんですね。抜けると泣けるは、機能的に非常に近い、というのが、少しはわかってもらえたでしょうか。

第三の軸として『笑える』を考えてみたいと思います。僕は、この『笑える』が一番難しいと思うのです。『泣ける』、『抜ける』よりも、『笑える』のほうがパターンが多いし複雑ではないでしょうか。泣けるもの、抜けるものは広く共通するツボがあるように思いますが、みんなが笑えるものって非常に難しいと思います。漫才なんかでも、やっぱり好き嫌いがわかれるというか……。

まあ、どの感情(あるいは反応)に優劣があるという話でもありません。人それぞれ、得意や不得意があることでしょう。僕としては、小説では笑わせるのが一番難しいように思います。号泣する作品とか、抜ける作品ってあると思うんですよ。でも、大爆笑できる小説で、めちゃくちゃ売れてる作品ってありますか。あんまり思いつかないんですよねぇ……。やっぱり笑いって、ずらすことが大事で、そのずらす過程で王道を外れないといけないから、そこが難しいように思います。うーん。まだまだ言語化できていませんね。

泣けるも抜けるも、体液を排出させることを目的に、徐々に興奮を高めていってエクスタシーに誘う、みたいな構造だと思うんですよ。ところが、笑いっていうのはそうではなくて、一瞬の切れ味で勝負するというか、短期決戦な気がするんですね。体液を出して終わり、というわけではないのです。長期的に渡って面白いものっていうのは、なかなか難しいのではないかと……。うーん。どうなんでしょうね。

 

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