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芸人は変なことを言うのが仕事

 たまには時事ネタでも書きましょう。とはいえ、僕は土日にまとめて1週間分の記事を書いていることが多いので、ちょっと時期がずれているかもしれません。具体例も出しませんが……。

 芸人さんが、たまにワイドショーなどで不謹慎なことを言ったり、ちょっと常識外れのことを言って、炎上する、みたいなことがありますね。そのときに多くの人が怒っているようすをTwitterなどで観察できます。

 しかし、芸人って、もともとは変なこと、世界からずれたことを言って人を笑わせる職業だったのではありませんか。だから変なことを言って当然なのです。むしろ、極々普通の、ありきたりのコメントしかしないようでは、芸人の存在価値がないかと。世界には、常識的な意見も、非常識な意見も、どちらもあったほうが良いと思います。

 変な人が変なことをしていて、それに怒っているのが不思議でなりません。普通という観点からずれているのはたしかでしょう。でも、変な人に普通であることを強制するのは、それもまた暴力のひとつではありませんか。もちろん、直接的になんらかの不利益があればべつですが、変なことを言うくらいは好きにさせても良いのではないかと思います。

 そもそも、笑いというのは差別的なものと切っても切れない存在なのです。これについて語ると長くなるので、またいつか時期を見て話をしたいと思いますけど。リヴァイアサンのホッブズが言っていることですが、人は他人に優越していることが原因で笑う、みたいなことですね。ホッブズを知らない人はポップスの仲間だと思ってください。

 テレビ番組でハゲをバカにして笑ったりしますよね。あれは自分がハゲていないから笑えるわけです。かなり低俗ですけれど、そういう笑いは至るところにあります。たとえばライトノベルでは、女性の胸が小さいことを笑いにしたりしますね。いまの時代でも、ああいう表現が許されるのかどうかわかりませんが、他人をバカにするようなことは笑いの基本なのです。

 そういえば、テレビとかって、差別的な表現がたくさんありますよね。たま~~~に誘われて一緒にテレビを見ることもあるのですが、いまどきこんな表現、よくするねぇ、みたいな。まあ、老人向けのメディアだから、それで良いのかもしれませんけど。インターネットでいろいろ叩いている暇があれば、もっと既存のメディアを叩いたら、とか思ってしまいます。社会への影響力は、まだまだテレビのほうが強いかと。

 はっきり言って、みたくないものはみない、という選択ができるわけです。僕なんかは、単に見なくなるだけで、抗議をしたり、Twitterに書いたりとか、そういうことをする気が起きません。活動的なリベラルの人からはバカにされるでしょうが、まあ、それでよろしいかと。何かの表現を見て、傷ついたら、見なければ良いだけのことなのです。それを世界から消してしまおう、という思考に至るのが不思議でなりません。

 単に自分が嫌だ、というものと、実際に不利益を被っている、には大きな差があります。たとえば医大で女子の点数が低く採点されていた、というのは実際に不利益があることです。そのような差別は是正されなければならないでしょう。しかし、これは自分の気にくわないものだ、というのは直接的な不利益があるわけではないのです。この差は、結構微妙な問題ですけど、僕は大事かなと思いますね。

 男性の頭髪が薄い人(婉曲的な表現をしてもバカにしている感じになるのは、なぜ?)は、明らかに差別をされていますよね。頭髪は生まれ持った遺伝子である程度決まるわけです。ちゃんと、そういうものに対するヘイトも取り締まったほうが良いのではないでしょうか。まあ、ハゲているから店に入れないとか、家を借りられないとか、就職で点数が低くなるとか、そういう直接的な不利益がないので、いまのところは見逃しても良いのかなぁ、と思います。そのうち、他人をバカにすることが実にくだらないと皆が気づくでしょう。それまでのんびり待てばよろしいかと。

 あと、小説家も変なことを書くのが仕事だと思います。変人が変なことをやっているのに怒る人がいるのは不思議です。

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