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やさしい社会

こんにちは! 河東遊民です。

今日は「やさしい社会」というエッセイを書いてみましょう。

去年の夏頃でしたか、新幹線で死傷事件がありましたね。あれは、ある意味ではテロだと言えるでしょう。刺された方が立派だった、という話がメディアで多く報道されていたことを覚えています。非常に惜しまれていました。私も、人が死ぬのは良くないことだし、悲しいことだと思います。

私の身内が被害にあえば、同じように怒ったり、悲しんだりすることでしょう。しかし、一歩引いて冷静に見ると、私は、どうも容疑者に同情してしまうのです。容疑者の気持ちがよくわかります。私は立派な人間ではないし、この世界に対して恨みを持っていたことがあるからでしょう(いまは、そうでもないですが……)。

私たちがしなくてはいけないのは、容疑者の方を懲らしめることではありません。罰を与えて、憂さを晴らしても意味がないのです。次なる事件が起きないようにするためには、容疑者を厳罰に処するよりも、社会のほうを変えていくべきだと思うのです。私は、本人ではなくて環境に問題があった、と考えます。社会を改善していけば、あのような悲惨な事件は防げるはずです。

もしも、すべての国民に衣食住を与えることができる世界が実現すれば、容疑者のような方は現れなかったのではないでしょうか。この世界にある多くの犯罪が消えてなくなるはずです(もちろん、減るだけで根絶することはできませんが……)。

私たちがしなくてはならないのは、容疑者の方が社会へ戻ってきたときに、やさしく包摂できるような社会をつくることではないでしょうか。いつ戻ってこられるのかわかりませんし、もしかしたら死刑となってしまうのかもしれません。それでも、彼と似たような境遇の人々が、この日本社会にはたくさんいます。そういう方々も救えるような、やさしい社会をつくる必要があると思うのです。

こういうことを書くと、被害者の遺族の気持ちを考えろ、と言われることでしょう。それに対しては『加害者の気持ちも考えろ』が反論になるでしょう。

被害者の死を悲しむのは良いと思いますが、執拗に容疑者の人格を否定したり、こんなやつは殺してしまえとか、そういうことを言うのは間違っていると思うのです。

罪を犯した人が社会へ復帰した際に、お帰りなさい、もう世界を恨まなくても良いんだよ、と言ってあげられるような、やさしい社会が望ましいと考えます。

うーん。やっぱり、この思想は、幼い頃に学んだキリスト教の影響が強いですね。あまり日本では受け入れられない考え方かもしれません。もちろん、いろいろな考え方があって良いのです。賛同されなくとも構いません。ただ、こういう風に考えても良いのではないですか、という提案です。

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