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かつてオタクだった

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『かつてオタクだった』というエッセイを書きましょう。

「かつて」という一文がついているということは、いまはオタクではないのか、という疑問がわくでしょう。昔ほどディープに活動ができていない、というのは事実だと思います。アニメもほとんど見ませんし、ゲームもしていません。何かの感想を熱く語る、みたいなこともなくなってしまいました。

そもそも、オタクというものが存在しづらい世界だと思うのです。もともと、オタクというのは『普通』に対するカウンターでした。『サブカルチャー』という言葉からもわかるように、皆が知っているような『メインカルチャー』の反対、マイナーなものを好きな人たちの集合がオタクと呼ばれていたのです。ところが、現代社会では全員が共通して知っているものが、ほとんどない状態です。つまり『普通』が消えている時代だということですね。超有名なアーティストも芸能人も、ほとんどいないわけです。すべてがサブカルチャーになった、と言い換えても良いですし、全員がオタクになったと言っても良いでしょう。テレビの視聴率は落ちつづけています。テレビオタクといっても良いくらいの存在になったということ。まだ全体として見たらメジャーですけど、たとえばテレビのドラマなんかはどうでしょう。見ている人が、かなり少ないですよね。ドラマオタクといっても良い状態です。昔は、テレビのドラマを多くの人が見ていたのです。

テレビのドラマなんかを見ている人たちに対して、強烈な劣等感を持っていたのがオタクです。オタクというのは、つまり『普通の人々』のアンチとして生まれた存在なのです。『普通の人々』が消えたことでオタクとしてのアイデンティティを喪失したといっても良いでしょう。べつにアニメを見ているのも普通だし、ドラマを見ているのも普通だし、Youtubeで動画を見るのも普通だし、みたいな、多様な趣味の乱立した世界です。オタクにもいろいろなオタクがいるわけで、そうするとオタクという呼称が様々なものを取り込んでいき、スペシャル感が失せていきます。普通の人々が消えて、オタクばかりになった、といっても良いでしょう。

そういうわけで、いまはわざわざオタクだとアピールするほどのこともない、という時代だと思います。まだ、もうちょっとオタクに対する偏見はあると思いますけど、昔と比べたらかなり薄れていますね。特に若い世代では顕著です。老人がオタクなんてけしからん、とたまに言っている程度。でも、そういう老人だって超マイナーな趣味を好んでいたりするわけですよ。

オタクが増えて、コンテンツも増えて、濃度が薄まっているのが現代社会です。皆が見ているコンテンツがないので、共通の話題も生まれにくいのですね。小さな世界がたくさんある状態だと思ってください。この状況は、しばらくつづくでしょう。もしかしたら、本格的な不況が来たあと、アニメの数が減り、ゲームも減り、ラノベや漫画も減り……となったときに、かつてのような時代が来るかもしれません。いや、でも、そのときは個人が無料でいろいろ配信して、さらに多様な、わけのわからない世界になっているかもしれませんね。どうなんでしょう。

僕のような老害オタクからすると、さすがにこれは抑えておいてくれよ、というエンタテインメントがたくさんあります。でも、いまのようにコンテンツがたくさんある世界において、そんなことは不可能なんですよね。僕だって知らない作品がたくさんあるわけですし。まあ、そういう世界なので、仕方がないということですね。

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