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基本的にはバカにされる

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『基本的にはバカにされる』というエッセイです。少々時間がないため、以前書いたエッセイの使い回しです。いつもと口調が違いますけど、気にしないでください。僕が書いたエッセイのなかでも、かなり気に入っているものです。

常識外れのことをしようとすると、基本的にはバカにされることになる。多くの人間は『普通』であることに大きな価値を見出す傾向にある。だから、本当は正しいが、常識的ではない、ということをしようとすると、大きな反対にあうことになる。反対されなくとも、またやってるよ、バカだねぇ、とか、そういう風な目で見られることになる。

具体例を出すと、1日30分の運動が健康に良いとわかったとしよう。毎日、決まった時間に運動をする。それまでは、運動なんてしたことのなかった人が、運動をはじめる。その人らしくない行動である。もちろん、自分らしくないことくらい、よくわかっている。つづくかどうかもわからない。けれども、なんとか勇気を出して、一歩を踏み出してみる。すると、周囲の人間がバカにしたり、笑ったりするのである。こういう経験ってないだろうか? どうせ無駄だからやめときなよ。つづかないって。そこまで頑張って、なんの意味があるの? 大体、こういうことを言って、人のやる気を削ごうとしてくる人がいるのだ。

僕は1年間、浪人をして大学に合格している。浪人生として勉強をしているときに、親族を含め、多くの人にバカにされたものだった。もともと、高校はほとんど通っていなかったから、勉強なんてできない。知識はゼロだ。予備校に入った当初、偏差値は33だった。それでも、関西で一番上の私立に入ろう、と目標を定めた。同志社大学だが、もちろん、春の時点では絶対に無理だった。身の程知らずとか、頑張ってもどうせ無理とか、そういうことを言われる。英単語は口に出して覚えたほうが良いという噂をきいたので、毎日、来る日も来る日も単語帳を音読したり、CDを真似して口に出したりするのだが、発音が下手とか、そんなので本当に英語ができるようになるの? ちゃんと机に向かって、単語をたくさん書いて覚えたほうが良いんじゃない? とか、いろいろ言われるわけだ。こっちはちゃんと勉強の本を読んで、効果があると思われる学説などを試しているのだが、そういうことを説明しても、まったくわかってもらえない。僕は頑固というか、そういう風にバカにされると、逆に意地でも頑張って成功してやる、と思う人間なので、どのようなことを言われても気にせずに頑張った。もしかしたら、僕のそういう性格を知った上で、あえてバカにしていたのかもしれない。そう考えると、なかなか深い教育方針である。

僕のようにひねくれものでない場合、そういう人たちの反対を受けたり、バカにされたことで、やめてしまうかもしれない。絵を描いても、下手だからやめろとか、どうせものにならないとか、漫画家目指してんの? いやもっと若くて絵がうまい人いるし無理でしょ、とか言われるわけだ。小説なら、こんなくだらないもの書いてないで勉強しろとか、そういうことを言われるだろう。そういう経験を重ねていくうちに、他人にバカにされる前に、自分で自分をバカにするようになる。そうなると末期である。どうせ自分なんか……。こんなことしてなんの意味があるの? やっても無駄だよ。そういう風に自分をバカにして、自分の可能性に蓋をする人も多いのではないか。

そして、そうやって自分の可能性を潰した人が、また他の人間をバカにして可能性を潰す、という風に連鎖していくわけだ。

どういう風に対処すれば良いかというと、それは簡単。『バカだねぇ』と言われたら、『そうだよ、僕、バカなんだ』と思えば良い。『頭おかしいんじゃない?』と言われたら、『うん。僕って、結構、頭がおかしい人間なんだよね』と肯定してあげよう。僕はバカだし頭がおかしいけれど、正しい(と思っている)ことしかしない。その正しさがあれば、それで良いと思う。

そんな感じで、多くの人にバカにされながらも小説を書いている僕です。

ここまでが引用。この記事を書いたのは2018年の1月だった。バカにされつつ小説を書いていたら、新人賞を受賞できた。自分の可能性に、蓋をしてしまわないことが大事だろう。今後も、正しい行動をつづけていこうと思う。

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