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小説の会話文について考える

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『小説の会話文』について書いていきましょう。

僕は前々から、自然な会話文を書くのは難しいなぁ、と悩んでいました。というか、いまでも悩んでいます。いろいろ考えて最適化した部分はありますけど、それでもベストな状態だとは思っていません。とにかく面白い会話文が書きたいんですよね。でも、なかなかそうはならないし……みたいな感じです。

僕はリアルな(自然な)会話文のほうが面白いのかなぁ、と最近考えているので、こういう努力をしているんですよ、みたいな部分を書いてみたいと思います。

僕が気をつけている点は、『助詞を減らすこと』です。

ちょっと意味がわからないと思うので、例を出してみましょう。

Aさん:昨日、京都行ったんだけど←これが自然な会話文

Aさん:昨日、京都に行ったんだけど←小説に出てくるような会話文(だと思う)

京都のあとの「に」という助詞は、最近の若い人の間では、かなり抜けていると僕は感じます。30代くらいの人でも、助詞を抜いている人が多いですね。これは、僕が関西という土地に住んでいるから、そういう観察になっているのかもしれません。東京に住んでいた頃は、ほとんど他人の会話に関心がなかったので……。

僕は職業上、頭の良い子供とも多く接してきました。彼らは非常に正しい日本語を話します。若者同士では崩れているのですが、目上の人に対する際は、僕がこのブログで書いているような、助詞のしっかりとついた文章で話をするのです。

そういう部分で、キャラクターの個性を出していけるのかな、とか……。どうなんでしょうね。

敬語キャラでも、敬語のレベルを調整することができます。

「どうやって、軍の士気を高めるんですか?」

「どのようにして、軍の士気を高めるのですか?」

この2つは、上のほうがくだけた敬語で、下のほうが固い敬語です。単なる敬語キャラでも、形式的に敬語なだけなのか、それとも育ちが良くて、もともと高貴な言葉遣いなのか、という点で差をつけられる……と僕は思っていますが、読む人は気にしていないかもしれません。

「思っています」と「思ってます」とか、そういう細かい部分でも差をつけられますね。

そんな感じで、実は細かい調整をやっているのですが、単なる自己満足に過ぎないのかな、とも思うのです。どれだけリアリティのない会話をしていても、面白い作品なんて、いくらでもありますしね。リアルであれば面白いというわけでもないのです。いまのところ、僕はこういう風に考えている、という程度の記事でした。今後、もっともっと良い会話文を模索していきたい所存です。

 

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