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先生と呼ばれて

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『先生と呼ばれて』というエッセイを書きましょう。

最近、質問箱に質問が届くようになりました。質問箱というのはTwitterと連携できるアプリです。何か僕に質問があれば、質問箱を使えば匿名で質問ができます。こういうアプリは、自己顕示欲の強い人が自分に質問をして、人気者に見せかけるためのものだと思っていたのですが、ちゃんと質問が来るのですね。他人に見られたくない質問は、メールやDMをいただければ対応します。

僕が少し気になったのは、『先生』という呼称です。質問箱で『先生』と言われたのです。僕が塾の講師をしていた頃や、教室長をしていた頃から『先生』という呼び名は好きではありませんでした。僕は、先生と呼ばれるほどの存在ではないな、と思うからです。『先生』と呼ばれると調子に乗ってしまいそうで怖いですし。まあ、先生と呼ぶ側は単なる呼称として『先生』を使っているだけで、尊敬しているわけではないでしょう。僕が考えすぎなのかもしれません。僕は『河東さん』と呼ばれるのが、もっとも好みです。ただ、他人に呼び方を指定するのも偉そうな気がするので、好きに呼んでいただければと思います。

『先生』と呼ばれるのが嫌な理由を考えてみましょう。僕は小、中、高と、波長の合う先生と出会えませんでした。常識的で古い考えの人ばかりです。波風が立たないように、できる限り平穏に暮らしたい、というタイプの先生が多かったですね。まあ、そこまで親しく接したわけではありません。僕が勝手に、先生たちを分析しただけです。もうちょっとエキセントリックな人間が傍にいると、ああいう風に生きても良いのだ、と思えたでしょう。きっと……。そういうわけで、『先生』というものに良い印象を持っていません。大学で、ようやく面白い先生に出会えました。でも、その方も『先生ではなくて、さん付けで呼ばれたい』と仰有っていました。

ついつい先生をつけてしまう職業は医者ですね。医者を『○○さん』とは呼びづらいです。いえ、べつに呼んでも構いませんけどね。さすがに医師免許を取得する難しさもわかりますし、自分たちにはない特殊なスキルがあることもわかるので、素直に尊敬できます。医者は『先生』と呼ばれるに相応しい職業だと思います。

学校の先生で、とてつもなくスキルの高い人、というのは少ないでしょう。もちろん子供に教えるにあたって、いろいろ勉強しなければならないことはあると思います。それでも、目に見えてわかるスキルを持っている人は少ないでしょう。小説家も、いまの時代は目に見えてわかるスキルではないと思います。小説家になろうやカクヨムを見てもわかりますが、小説は誰にでも書ける時代ですからね。アマチュアの作品でも面白いものは多いです。プロとの差は、単に運か、プロになろうという意志の差だと思います。昔は、もっと文章を書くのが大変でしたから、特殊なスキルだったと思います。

ええと、誤解のないように書いておきますが『先生』と呼ばれたい作家の人がいても、もちろん良いのです。人それぞれ自由ですから。ただ、僕は『先生』と呼ばれるのが気恥ずかしい、というだけです。

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