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痩せるな

こんにちは! 河東遊民です。

今日は『痩せるな』という過去に書いたエッセイを転載します。

僕が思うに、多くの人は無駄にダイエットをしすぎである。いや、明らかに肥満であり、痩せなければ健康的でないという人もいるだろう。それはよくわかる。しかし、そうではない、肥満とはいえない人まで痩せようとしすぎているように思うのだ。明らかに肥満ではない人たちも、何か幻のような理想を見て、ダイエットをしようと考えてしまうらしい。

そもそも、体重は低ければ低いほど良い、というものではない。むしろ、痩せすぎは(痩せぎすでも可?)太りすぎよりも危険だ。BMI(Body Mass Index) 値にして21~25の範囲、特に23近辺のときにもっとも死亡のリスクが下がる。これはいろいろとデータがあるので調べてみればわかる。

もちろん、BMIに対する反論もいろいろある。たとえば、BMIを考案したのは欧米の人であり(アドルフ・ケトレーだが)、日本人の体型には当て嵌まらないとか。さて、じゃあアジア、特に東アジアを対象としたデータはどうだろう。こういうデータがある。結局、欧米での研究と同様、低BMIの人間ほど死亡リスクが高くなり、BMI値が21~25の範囲に収まっている人は死亡リスクが減るのだ。

さて、この東アジアを対象としたデータにも、けちをつけることは可能だ。たとえば、まだ東アジアの国で格差の大きい国は多い。お金持ちほど太りやすく、そしてお金持ちほど病気になっても病院に行ける。つまり、太っているほど健康的なのではなく、太るほどお金を持っているから健康的な生活ができるのだ、というような切り返しが可能だ。

実は日本人だけを対象にしたデータもある。日本は他の国よりも、格差は少なかった(少しずつ格差は開いているが、ここ数十年間、かなり格差の少ない国だったと思う)。日本人の場合でも、BMI値にして21~25の範囲が、もっとも死亡リスクが少ないことがわかるだろう。BMI22というのは、身長170cmの人が63.6Kgとなる数値だ。これは、結構重いな、と感じるのではないだろうか? そう考える人は、すでにメディアの間違った情報に基づいて判断しているのだ。美容体重とかいう言葉があるけれど、あれは何の医学的根拠があって言っているんだろうか?

こういうことを書くと、御前は太った女(あるいは男)を好きだから、そういう主張をしているのではないか、と思われるかもしれない。そんな意地の悪い人はいないかもしれないが、まあ、僕としては外見など人間のなかで、もっとも些細な部分だと考えている。仕事や服のように、幾らでも着せ替えが可能な、どうでも良いことだ。その人の本質とは一切の関係がない。

あと、御前が太っているからこういうことを主張しているのだ、という人もいるかもしれないが、僕は子供の頃からずっと痩せすぎていたし、病気もたくさんしていた。いまでも、まだBMIが20に届かないくらいだ。もっと太らないといけない、といつも思っているが、なかなか大変である。

こういうデータを見ても、でも痩せたいとか、細くなりたい、という人がいても、僕は良いと思う。それは死にたい、風邪を引きたい、自殺をしたい、と思う人がいても良いのと同様である。ちょっとおかしいとは思うけれど、それくらいのおかしな人間は、この世にたくさんいる。自分の好きなように生きれば良いと思う。

ただ、他人の目を意識することが、どれだけくだらないか、自分を不自由にしているか、ということを一度考えて欲しい。でも、好きな人がいて、その人は痩せている人が好きだから、という場合は仕方がない。その人の好みに合うよう頑張るというのも良いだろう。僕は、外見などという些細なことで判断する人間はくだらないと思うので、そんな人やめておいたら、と思うけれど……。

愛する人の理想の姿になりたい、というのはよくわかる。しかし、非常にどうでもいい、自分の世界にとって無関係な人たちの視線を気にする必要は、全然ない。他人にどう思われようが、自分という個体には一切の影響がないではないか。皆、自由に生きれば良いではないか、と思う。

今回は論点がぶれるため、あえて書かなかったが、筋肉とか、基礎代謝とか、体脂肪率とか、そういう話のストックも持っている。僕は筋トレも健康に悪いと考えていて、無理に痩せる必要などない、ということを言いたい。体重と外見の話は、人が常識というまやかしに、いかに囚われやすいかがわかる好例と言えるだろう。

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